大月氏〜クシャン朝


BC150年頃、「スキタイ人が、シル川の彼方からやってきて、ギリシャ人からバクトリアを奪った。」と、ギリシャ・ローマ史の記録にある。このスキタイ人が「大月氏」である。

「大月氏」は、もとは「月氏」と呼ばれていた。中国の敦煌の西にて勢力を誇っていた遊牧民である。人種的には、モンゴロイドでなく、コーカソイド系である。中国は前漢の時代である。
北方には遊牧民国家の「匈奴」がある。この匈奴に月氏は攻め立てられ、はるか西方へと逃れる。「鳥孫」と交戦しながら移動、やがてバクトリア王国を破ってこの地に落ち着く。バクトリアの地を中国では「大夏」と呼び、ここの月氏を「大月氏」と呼ぶ。一方、もとの地に留まったものを「小月氏」と言う。

前漢もまた、匈奴の侵入に悩まされていた。武帝は、匈奴に対抗すべく「はるか彼方の大月氏と同盟を結び、匈奴を挟撃せん」と考えた。そしてその同盟締結使者として、張騫を派遣した。張騫は匈奴に10年間捕らえられ、苦心の末に大月氏に接触。しかし大月氏が漢の誘いに乗ることはなかった。本来の目的は果たせなかったが、貴重な西方の情報を得た漢は、しだいに西域対応にも意を注ぐようになる。


大月氏は、バクトリアに入ってから5部族に分かれて100年間が経過する。このころのコインに、ヘライオス銘の銀貨がある。
大月氏あるいはクシャン朝初期 ヘライオス 
BC1〜1世紀頃 
 銅に銀箔 VF+
11.8g 27mm  
ヘライオス銘の銀貨は、クシャン朝初代クジュラ・カドフェシス王が発行した可能性もある。
表 : ヘライオス王   
裏 : 騎馬像と女神ニケ
    ギリシャ文字銘「支配者ヘライオスの」

AD50年頃、大月氏の部族の一つ、貴霜(クシャン)が全支配をかため、これよりクシャン朝を名乗る。

クシャン朝初期 大月氏 クジュラ・カドフェシス 
1世紀頃 
 銅貨 VF+
3.1g 17mm  
大月氏族が、クシャンを名乗りはじめたころ。
表 : クジュラ・カドフェシス王   
裏 : 座像(神名は不明)

クシャン朝  ヴィマタクト王  銅貨  VF+
1〜2世紀 8.4g 20mm
表 : ヴィマタクト王の肖像     
裏 : 騎馬像 


クシャン朝は勢力を拡大し、バクトリアからインド西部までを領土とした。カニシカ王の治世がその最盛期であった。
クシャン朝  カニシカ王  銅貨  VF+
16.8g 25mm
表 : 左手に三叉槍を持ち、右手を拝火壇にかざす焔肩のカニシカ王の肖像     
裏 : 4腕シバ神像

クシャン朝  カニシカ王  銅貨  VF+
17.0g 25mm
表 : カニシカ王立像     
裏 : ミトラ神  タムガ

クシャン朝 カニシカ王 100−146頃  
1/4単位銅貨 VF黒錆
4.2g 17mm
表 : カニシカ王立像    
裏 : 女神ナナ

クシャン朝と仏像誕生については、当サイト内
ヘレニズム文化の変遷(クシャン朝とガンダーラ仏出現)
を参照。

3世紀になって、ササン朝がイランを統一。クシャン朝はササン朝との抗争により衰えていく。
5世紀初め、キダラ・ササン朝が勢力を得るが、エフタルの勃興により、滅びる。

クシャン朝コインの文字は、ギリシャ文字である。グレコ・バクトリアに続いて、ギリシャ文字が公用文字であった。言語はバクトリア語(イラン東部語)で、その音をギリシャ文字で表記した。


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