ササン朝 バフラム2世はマイホームパパ? 

 ローマやビザンツでは、皇帝だけでなく后や息子の肖像をコインに入れることがある。しかし、オリエント世界ではそのような例はない。オリエント史上唯一の例外が、ササン朝のバフラム2世である。バフラム2世は、ササン朝初期、第5代の王(276〜293年)である。この王のみがファミリー肖像を残している。彼は慈愛あふれるマイホームパパだったのだろうか。
王と王妃と息子のファミリー肖像 王家の拝火壇と王(左)と王妃(右)
 王妃と王子は前方に尖った奇妙な冠をつけている。王妃の冠は怪鳥シームルグ(豊穣を司る)、王子の冠は馬(ミスラ神のシンボル)の頭部である。

 さて、本題のファミリー肖像の理由であるが、それには王位継承問題がからんでいたらしい。バハラム2世は叔父のナルセーとの王権争いをした。前王の息子と全王の弟が王位継承で争うことはよくある。日本古代の壬申の乱もそのパターンだ。王権はバフラム2世の手に落ちたが、ナルセーはまだまだ野心満々である。バフラム2世は、自分の王権の正当性を主張する必要がある。彼の王妃は偉大なる王シャープール1世の娘であり、この王妃肖像を加えることは有利にはたらく。ナルセーの野心に対抗すべく、後継者としての息子バハラム3世の像も加える。こうして、ファミリー肖像貨幣が誕生した。


 バフラム2世の死後、息子バフラム3世に無事王位継承できた。しかし、まだナルセーは生きていた。ナルセーは、バフラム3世を武力攻撃し倒す。王位は、バフラム2世の心配したとおり、ナルセーの手に落ちたのだった。


 このコインは裏面にも変わった点がある。拝火壇の中ほどにリボンのようなものが巻いてある。これは、表の王の頭部に巻いてある「はちまき」、これと同じである。はちまきは、「ディアデム」という。王権の象徴である。ディアデムを巻いた拝火壇であるので、これは王個人の壇で、人物は王と王妃である。冠の形や髪型も表と裏は一致している。

 参考文献
 :月刊「収集」1990年11月 田辺勝美氏「古代イラン/ササン朝ペルシャの銀貨」
 

コインINDEXへ

inserted by FC2 system