ササン朝  ペルシャの王

 ササン朝は、226年アルサケス朝パルティアを滅ぼした後、約400年間、イラン・メソポタミヤを中心とする広大な領土を支配した。西はローマ帝国(後はビザンツ帝国)と抗争を繰り返し、東はクシャン朝、エフタルと争った。

 大量に発行されたササン朝の銀貨は、西〜中央アジアで広く流通する国際通貨であった。周辺国でも模倣貨幣を多量に発行している。 これは、ササン朝銀貨の信用性・普遍性の証明でもある。




 ササン朝の文字はパフラヴィ-文字で、右から左へ読む。国教はゾロアスター教で、コイン裏には全てこの拝火壇がデザインされる。ササン朝のコインは薄造りで、径のわりに軽量である。そして、表と裏は図像が90°ずれる。つまり表の肖像の向きで裏返せば、拝火壇は横向きになる。模倣貨もそれを踏襲している。
 ササン朝初期の図像は写実的で、ヘレニズムの影響が残っている。その後、様式化が進んでいく。

シャープール1世
(241−272)
ドラクマ銀貨  
 3.8g 27mm
 
 →拡大画像
表 : シャープールT世  コリュンボス(球体装飾)のある耳覆いのついた城壁冠  
    銘 : 「マズラ信望者:神:イランの:諸王の王:神の子孫:シャープール」
裏 : 拝火壇と聖枝(バルソム)を持つ2人の神官  炎の左に「・」マーク    
    銘 : 「シャーブールの火」

 シャープール1世 
 ガンダーラをクシャン朝から奪う。ローマ帝国と戦い、ローマ皇帝のウァレリアヌスを捕える。ローマ皇帝が捕虜となったのは前代未聞。ローマにとっては最大の屈辱であった。皇帝ウァレリアヌスは捕らえられたまま死亡した。

バフラム2世  
(276〜293) 
 
ドラクマ銀貨
3.74g 27mm
 →拡大画像    
表 : 王と王妃と息子のファミリー肖像
    銘「マズダ神を敬う、神に等しい、ヴァラフラーン、イランの諸王の中の王、神の子孫」
裏 : 王家の拝火壇と王(左)と王妃(右)

 バフラム2世
 バハラム2世は、王妃と息子バハラム3世とのファミリー肖像を貨幣に刻んだ。このようなことは、ペルシャ史上、他に例がない。バハラム2世は叔父のナルセーとの王権争いをした。自分の王権の正当性を主張するため、王妃肖像も加えたと考えられている。王妃は偉大なる王シャープール1世の娘であるからである。ナルセーの野心に対抗すべく、後継者としての息子バハラム3世の像も加えている。

ペ−ロ−ズ1世  
(457〜484) 
 
ドラクマ銀貨
4.2g 28mm
 →拡大画像    
表 : 王の肖像
裏 : 拝火壇と2人の神官

 ペ−ロ−ズ1世
 この時期、東のエフタルが強大となってササン朝を圧迫する。べーローズ王はエフタルとの
戦いの中で戦死する。このべーローズ銀貨の模倣貨を敵国エフタルも作っている。
  → エフタル模倣べーローズ銀貨 画像

ホスロー2世  
(591〜628) 
ドラクマ銀貨
4.2g 36mm
 →拡大画像
表 : 王の肖像
裏 : 拝火壇と2人の神官

 ホスロー2世
 力の衰えたササン朝晩期にあって奮闘した王である。ビザンチン帝国と戦い、一時的ではある
が、エジプト・シリアを奪っている。このホスロー2世銀貨を後のタバリスタンが模倣している。
  → タバリスタン模倣ホスロー2世銀貨 画像



 参考文献
 :月刊「収集」2004年7月 平野伸二氏 掲載文 
 :世界史年表・地図  吉川弘文館
 :アジアの歴史と文化G中央アジア史 角川書店

 :平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術 
 :流砂の記憶をさぐる NHK出版

コインINDEXへ

inserted by FC2 system