タラス河の戦い(イスラムvs唐) 製紙技術の伝播

 751年、タラス河で、イスラム帝国アッバース朝と唐の戦いがあった。戦場は現在のキルギスタン北部である。
 これ以前に西突厥を破った唐が、中央アジアに勢力を広げていた。唐の節度使「高仙芝」が、オアシス都市タシケントを襲い、王を長安まで連れ去った。節度使とは、辺境を守る軍の指揮官である。
 タシケントはイスラムに救援を求め、この地方の完全征服を目論んでいたイスラム・アッバース朝は兵を進める。こうして、東西の大国が交戦した。

 結果は、唐の大敗であった。配下のテュルク系カルルク族の裏切りのためである。唐の皇帝は「玄宗」。失地回復を図るかと思いきや、755年の安史の乱にて王朝そのものの危機をむかえる。

 タラスの戦い以後、この地から唐の勢力は撤退し、イスラム化が進む。
 


 上の図に貨幣を載せたが、厳密には誤りがある。アッバース朝の貨幣は「ハルン・アル・ラシード」発行の銀貨で、786−809年頃のもの。タラスの戦い時点では、まだ発行されていない。

 ■技術革新 【製紙技術の伝播】
 この戦いで、唐軍捕虜の中に製紙職人が含まれていた。ここから製紙技術がイスラム世界に広がった。製紙技術は、やがてイスラムからヨーロッパへと伝播する。西方社会にとっての大技術革新は、この戦いがきっかけであった。
 上の貨幣を発行したカリフ「ハルン・アル・ラシード」の時代、宰相ジャーフル・ブン・ヤフヤーは、行政文書を、羊皮紙から紙に切り替えている。


 参考文献
 :文明の道 Cイスラムと十字軍 NHK出版
 :世界史年表・地図  吉川弘文館
 :アジアの歴史と文化G中央アジア史 角川書店

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