べトナム  〜東南アジアでは唯一、中国文化圏に属す 

 現在のベトナムは、インドシナ半島東岸の南北に長い「S字形」の国である。歴史的には、北部・中部・南部に分けられる。

 北部はベト族により構成される。秦の始皇帝以降、歴代中国王朝の支配を受けた。日本人の唐王朝役人「阿倍仲麻呂」は、761年から767年まで鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任していたことがある。 1000年間の中国支配による影響は著しく、漢文・大乗仏教・道教・儒教などが、ベトナム世界に深く浸透した。唐の滅亡後は、独立国家を形成し、歴代中国王朝から冊封を受けるようになった。これは、国家としては独立するが中国に臣従することを意味する。


 中部は、チャム族による国家「チャンパ」があった。チャンパは、クメール王国(カンボジア)とも度々交戦している。チャンパやクメールはインド文化を受容している。北の王朝は中国文化圏に属し、チャンパはインド文化圏に属す。民族的にも文化的にも異なる両国は度々争った。その勝者は北の王朝であった。15世紀、北の王朝(黎朝)が侵攻し、チャンパは急速に衰退をはじめる。やがて、ベトナム中部全体がベト族の領域になった。つまり、中国文化圏が南下した。

 南部ベトナムは、もとはクメール(カンボジア)領である。それが、17〜18世紀にはベトナム傘下に入る。侵略したのは「広南国」。中部ベトナムを支配していたベト族国家である。当時、北部には黎朝が、中〜南部にはこの広南国があった。二つの王朝は敵対しているが、同じベト族である。現在の領域と同じベトナムのS字形がここでできあがる。中国文化圏はさらに南下したことになる。

 安南歴代銭には、王朝の年号が入る。下のものは安南歴代銭の一部である。
大平興寶  太平年間(970年〜979年)
裏面上の「丁」の字は、丁部領(ディン=ボ=リン)の名字
丁部領はベトナムで初めて皇帝を名乗った人物
延寧通宝 黎三世仁宗 
延寧元年
(1454年)


洪順通寶 黎襄翼帝宗
洪順年間
(1509年〜1516年)
端慶通寶
黎七世威穆帝
端慶年間
(1505年〜1509年)
景盛通寶 
西山三世阮光纉
景盛年間
(1793年〜1800年)
   ベトナムは「リトル中華」

 中国の銅銭には、年号の入った「○○通宝」や「○○元宝」などがある。中国に倣って、日本も朝鮮もベトナムも同じような銭を発行している。同じ中国文化圏であるから、各国とも漢字を使用する。年号を定め、それを銭文に入れることが多い。

 周辺国の中でも、ベトナムは「リトル中華」と呼ぶにふさわしい。科挙・宦官といった中国の制度も採り入れ、本家中国の後を追った。

 陶磁器でも同様である。左は、15〜16世紀の安南染付の小壺である。ベトナムの青花は、元〜明の青花を写すことから始まった。この小壺の口まわりの蓮弁文・窓絵を区切る模様は、元青花の図案に由来する。中国の後を追い、世界で2番目に青花の焼成に成功したのがベトナムである。 

明命通寶 大銭「剛健中正」  越南聖祖 阮福皎   明命元年(1820年)
5cmもの大型銭である。


 この大型銭の裏の銭文 「剛健にして中正であれ」とは、儒教的な言葉である。発行者はを明命(ミンマン)帝。1802年成立の阮(グエン)朝第2代皇帝である。

 阮(グエン)朝は、現在のベトナムとほぼ同じ領土を治めた。王朝成立の際には、フランスのカトリック宣教師の援助を受けて銃器を調達し、フランス人士官の参加を得て前西山王朝を倒した。親フランスであるかと思いきや、逆にアジア的な封建制度体制に基づき、清朝に深く傾倒した。この銭文のように儒教政治を理想とする。現在のベトナム民族衣装のアオザイは、この頃に取り入れられた清のチャイナドレスが原型であるらしい。

 明命帝の時代(1819〜1840年)は、フランス・イギリス・アメリカが通商を求めて来航した。欧米列強がアジアに進出した時代である。日本には1853年、ペリーの黒船が来航している。この激動の時代に逆行して、ベトナム阮朝は、中国(清)中心の秩序に安住しようとする復古主義で臨んだ。欧米列強との接触を拒み続けたわけである。

 そしてさらに明命帝は、キリスト教の布教を厳禁し、信徒の弾圧とフランス人カトリック宣教師の処刑や追放を行った。

 ひたすら中国文化に寄り添ってきたベトナムであった。



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