ペルシャ戦争 ギリシャの相手は超大国  

■ペルシャ戦争
 BC492年、アケメネス朝ペルシャ・ダレイオス1世がギリシャに対して侵攻する。アケメネス朝はギリシャ北部のトラキア地方を占領し、マケドニアもその支配下に置いていた。ギリシャ全土がペルシャの軍門に下るも時間の問題という状況であった。なにせペルシャは、当時では世界唯一の超大国である。

■ペルシャの圧倒低優位
 ギリシャには統一国家はない。多くのポリス(都市国家)が分立している。ポリスの中で大きな力を持っていたのがアテナイやスパルタであった。それら有力ポリスはアンチ・ペルシャとして統一戦線を組んだが、北部の多くのポリスはペルシャになびいた。なにしろ圧倒的な国力の差があるからである。そして中部のポリスは中立を決め込む。圧倒的にギリシャ側に不利な状況であった。

■ギリシャ連合軍はマラトンの戦いで、ペルシャ軍を辛くも凌いだ。BC486年、ダレイオス1世は死去。後を継いだクセスルクセス1世は、BC480年再びギリシャ征服を試みる。ペルシャ軍は破竹の勢いで南下し、中心となったポリスのアテナイに迫る。アテナイ市民は避難し、指導者のテミストクレスはサラミス海にギリシャ連合艦隊を集結する。ギリシャ連合軍は、アテナイが陥落するも、サラミス海戦において地の利を生かして勝利を収める。
アケメネス朝ペルシャ 486〜470年BC頃 クセスルクセス1世
5.6g 銀シグロス貨 最大径1.5cm 
おそらく小アジア(トルコ)出土


■サラミス海戦の敗北の後、クセスルクセス1世は帰国する。この後ペルシャ軍は指揮官マルドニオスに率いられ、再びアテナイを侵略するが、プラタイアの戦いでの指揮官の死により、ペルシャ勢力は衰える。

■ペルシャ戦争終結後
 戦後は、ペルシャ対策として、アテナイが中心となってデロス同盟を結成した。ペルシャの脅威が去った後、デロス同盟は、アテナイが他の諸ポリスを支配するための機関へと変貌していった。
アテナイはデロス同盟の資金を勝手に流用した。アテナイ単独都市の神殿「パルテノン神殿」の建設にも同盟資金が用いられた。
 こうした経過から、デロス同盟に対して、スパルタを中心としたペロポネソス同盟が結成される。こうして、ギリシャポリス間のペロポネソス戦争へと向かうことになる。
 下の銀貨は、ペロポネソス戦争において、敗北へと向かう時期のアテナイ銀貨(テトラドラクマ)である。
アッティカ アテナイ テトラドラクマ銀貨   BC420〜404年 
17.1g 23.3mm  ふくろう頭に大きなテストカットあり
表:兜をかぶったアテナ神 裏:ふくろう 文字銘:ΑΘΕ

参考文献:Greak coins and their values 1 : SEAR


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