プトレマイオス朝 クレオパトラ7世

プトレマイオス朝エジプト  クレオパトラ7世 (51-30BC)
銅貨 ディオボル−80ドラクマ 26mm 16.96g アレクサンドリア製
表:ディアデム(はちまき)をつけたクレオパトラ7世
裏:サンダーボルト(雷)の上に立つ鷲 

※摩耗が激しい。クレオパトラコインは人気が高く、状態の良い物は非常に高価である。

■プトレマイオス朝
 プトレマイオス朝はギリシャ人の王朝である。したがって、美女として有名なクレオパトラ7世は、エジプト人ではなく、ギリシャ人である。王朝の最高権力者は、エジプト古来からのファラオ(王)である。その地位をめぐって、プトレマイオス朝では、血族間での権力闘争が激しかった。クレオパトラ7世も、弟のプトレマイオス13世と抗争していた。

 当時の地中海世界は、そのほとんどを共和政ローマが制覇していた。唯一の独立国であるエジプトは、ローマの動向が気になるところであった。 

■ユリウス・カエサルとの出会い(19世紀フランスの画家ジェロームの絵画)

 ローマ内戦でポンペイウスを討つためにエジプト入りしたカエサルとクレオパトラが出会う。クレオパトラは、絨毯に自身をくるませ、アレクサンドルにいたカエサルに贈った。カエサルのもとに届けられた絨毯の中から現れたのは、絶世の美女であった。これにはカエサルもイチコロであった。(これが史実かどうかは???)

 この後、ローマ最高の実力者・カエサルの後ろ盾のもと、エジプト女王として統治する。カエサルとの間には子もできた。名はカエサリオン。
 
 ポンペイウス派を一掃し、ローマに凱旋帰国したカエサルは、市民たちに熱狂的に迎えられた。順風満帆のカエサルであったが、ここで事態は急変する。

 「ブルータスお前もか!」カエサルが暗殺されたのである。この時、クレオパトラ・カエサリオン親子もローマに滞在中であったが、急いでエジプトへ逃げ帰った。

 カエサルの後継者は、アントニウスか、オクタウィアヌスか? 
■アントニウスを手玉にとる
 アントニウスはローマを離れ、東方での勢力を強化した。エジプト女王のクレオパトラとも会見をするのだが、ここでクレオパトラは勝負に出る。アントニウスをすっかり魅了してしまう。以後はアントニウスを後ろ盾としていく。二人の間には3人の子もできた。

 そんなアントニウスに、ローマ市民は、「エジプト女王に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」というレッテルを貼った。

 そんな状況をローマのオクタウィアヌスは見逃さない。
絵画:18世紀のフランス人画家 ルイ・ゴーフィル作

■クレオパトラの死 
 オクタウィアヌスは、アントニウス追討を、権力争いの私闘でなく、ローマ対エジプトの対外戦争として位置づけることができた。ローマ世論はオクタウィアヌスに付く。

 両海軍は、ギリシャ西岸のアクティウムで激突した。戦いが始まるや、クレオパトラはエジプトへと逃げ帰った。後を追いアントニウスも戦線離脱した。指揮官を失ったアントニウス軍は大敗した。

 アントニウスは自殺し、クレオパトラもその後を追った。その際、毒蛇に胸を噛ませたと言われている。
17世紀・イタリアバロック絵画 カグナッチ作

■クレオパトラの鼻が、もう少し低かったら歴史は変わっていた
 有名なパスカルの言葉にあるように、クレオパトラは絶世の美女で、それが歴史をも左右したと言われている。どんな顔だったのか? コインの肖像は摩耗していてなんとも言えない。
 


コインINDEXへ

inserted by FC2 system