インド・スキタイ〜インド・パルティア  「プレ・ガンダーラ美術」期


■アレクサンドロスから仏像誕生までシリーズ
@バクトリア王国 インドグリーク朝
Aインドグリーク朝コインのアジア的意匠
Bギリシャ哲学とインド仏教の出会い
Cプレ・ガンダーラ美術期(インドスキタイ インドパルティア)
Dクシャン朝と仏像誕生

ここでは、ガンダーラ地方の紀元0年前後、仏像出現前の「プレ・ガンダーラ美術」期ともいえる「インド・スキタイ〜インド・パルティア」期についての遺物にスポットを当てる。
■インド・スキタイ朝 BC1世紀頃


インド・スキタイは、サカ族とも呼ばれる騎馬民族である。BC2世紀頃から北方大月氏族らの圧迫を受け、南下していった。現在のアフガニスタンからインド北西部に移住していった。ギリシャ人国家のインド・グリ−ク朝を押しのけ、BC80年頃からAD1世紀にかけてインド西部を支配した。

騎馬民族らしく王の騎馬像を配す。それまでのインド・グリークの伝統にならい、ギリシャ文字とカロ−シュティ文字での表記。背面にはギリシャ神を配する。ギリシャの文化が依然として継承されている。
BC100−65年頃 
インド・スキタイ アゼス王

■インド・パルティア朝 AD1世紀前半頃
AD1世紀前半には、西のアルサケス朝パルティアがガンダーラ地方を支配した。北からクシャン朝が進出してくるまでの30年程度の短い期間であった。
左の銅貨は、その時のゴンドファレス王コイン。


下のコインは、128−88BCのミスラダテスU世である。
インド・パルティア朝よりも100年以上溯る本家アルサケス朝ものである。アルサケス朝は、イラン系であるが、ギリシャ文化に傾倒した国家で、後にこれを倒したササン朝は、イランの正統を踏み外したものと、糾弾している。
インド・グリークの後、ガンダーラ地方の支配は、スキタイ・パルティアと変遷するが、上述のようにギリシャ的な伝統は受け継がれていく。しかし、まだ仏像の出現はない。

■祭祀用具の流行
石製の「化粧皿」と呼ばれるものが、インド・グリーク〜スキタイ・パルティア期に流行する。BC2世紀〜AD1世紀前半にかけて、タキシラのシルカップなどの遺跡から出土する。
化粧皿と命名されているが、成分分析の結果、顔料は検出されていない。これは、化粧用ではなく祭祀用具であると考えられている。
左のように海を渡るモチーフが多い。他には、死者の饗宴図もある。

この意匠は、「来世の往生」という意味がある。左図は、海馬ヒッポカントスにトリトーンが乗ったものであろうか。海馬の頭は獅子に変わっている。「海を渡る」という意匠は、「三途の川渡し」と同様で、来世への希求、仏教でいう極楽往生の願いが込められている。

極楽往生を願う気持ちを、ギリシャ神話のモチーフに託している。
この石皿の所有者がギリシャ人であるか、また仏教徒であるかどうかは決定できない。
しかしその可能性はおおいにある。

この化粧皿は、クシャン朝がガンダーラを支配する1世紀後半以降ばったりと途絶え、代わりにいよいよ仏像が出現する。

ギリシャ神話を理解できる者だけでなく、霊魂の護送役として、広く誰にも救済者として理解できる「仏像」が、この化粧皿に代わって出現するわけである。その仏像製作・偶像崇拝を推し進めたのが、クシャン人であった。

参考文献


Greek coins and their values 2 Asia and Africa :Sear :Seaby
平山郁夫コレクション「ガンダーラとシルクロードの美術」 : 朝日新聞社
世界史年表・地図  :吉川光文社
文明の道A ヘレニズムと仏教 :NHK出版 

■アレクサンドロスから仏像誕生までシリーズ
@バクトリア王国 インドグリーク朝
Aインドグリーク朝コインのアジア的意匠
Bギリシャ哲学とインド仏教の出会い
Cプレ・ガンダーラ美術期(インドスキタイ インドパルティア)
Dクシャン朝と仏像誕生

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