西遼(カラキタイ朝)のコインがあった!


■12世紀後半頃の中央〜東アジア
西遼(カラキタイ朝) 銅貨 1.9g 20mm アラビア文字銘文内容は不明
西遼は貨幣を発行しなかったと思われていたが、近年になって、イスラムタイプのコインの発行が確認された。上の画像はそのうちのひとつである。

■遼が金に滅ぼされる

 遼は、契丹人の建てた国である。内モンゴルを支配して中国へ南下。北宋を圧迫した。
左は遼の三彩。草原の民が好んだおおらかな文様である。

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 遼は女真族の金に滅ぼされる。1125年であった。このとき、一部の契丹人は王族の「耶律大石」に率いられて西へと向かった。
■西遼の建国
 金から逃れた契丹人は、外モンゴルへ出るが、ここにも金の勢力がせまる。さらに西へ向かい天山ウイグル王国を、さらに東カラハン朝を倒す。天山山脈の南北を通るシルクロード(天山北路・天山南路)を制圧して交易の利益を得た。国力を増大させ、さらに西にも進出する。西カラハン朝を破り、ホラズム・シャーにも侵入。カラハン朝への援軍を出したセルジューク軍をも破った。
 中央アジアに「西遼」を建国した後、金を攻撃するべく故地の中国北部に向けて大軍を進めたが、進軍途上で「耶律大石」が病死した。東征は中止となった。
 
■交易で生きる
 遼の契丹人は中国文明に染まった民族で、仏教信仰も盛んであった。しかし中央アジアのイスラム圏に入った西遼は、自分たちの文化の強要はしなかった。契丹人は数の上ではごく少数派だったからである。現地のムスリムへの税もなく、収入はシルクロード交易の利益によって生きていた。上のようなイスラム銘のコインの発行も、「郷にいれば郷に従え」というところだろうか。


この後、13世紀にはホラズム・シャー朝が盛りかえし、東からはモンゴルが一気に拡大し、やがて西遼は飲み込まれていく。


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