第1回ユダヤ戦争  

ユダヤの統治は難しい ローマの対ユダヤ政策

 ローマは政教分離国家で、法に基づいて政策を行う。ローマの配下に入ったカルタゴもガリアもエジプトも、このローマ法によって統治され、平和と繁栄を維持した。

 ユダヤは当時では唯一の一神教である(キリスト教はまだ生まれたばかり。)ユダヤ人が守るべきは戒律であり、ローマの法ではない。また、彼らが戦うのは自分たちの神のためであって、皇帝のためにローマ国家のために戦うことは出来ない。かりに属国となってローマ保護下になっても、戦力提供という義務は果たせない。ユダヤを、ガリアのようなローマの属国にはできない。

 ローマは特殊なユダヤに対して、寛大な対応で接している。エルサレム本国には、信仰とある程度の自治を認め、各地に拡散したユダヤ人には商売上の権利を保障している。面白くないのは、ギリシャ人である。同じように商売をしながら、自分たちはローマ政策に従い義務も果たしているのに、ユダヤ人は宗教上の理由から義務を果たさず、権利だけを享受している。そう思っても無理はない。各地では、ギリシャ・ユダヤの間でもめ事が起こっている。

 ローマはなぜユダヤに気を遣ったのか。それは、地理的な理由であろう。帝国の穀倉地帯であるエジプトの入り口であり、背後にオリエント国家が迫っている。この場所で反乱ばかり起きていたら、帝国の存続にもかかわる。 それでも、反乱は起き、とうとう戦争に及んだのがユダヤ戦争である。

第1回ユダヤ戦争
ウェスパシアヌス
(在位69-79年
) 
デナリウス銀貨 
70年発行
■ウェスパシアヌスがユダヤ戦役の主役

 ユダヤ戦争勃発時の皇帝はネロである。ユダヤに反乱が起こって、皇帝ネロは、叩き上げ軍人のウェスパシアヌスをユダヤ総督に任じ、3個軍団を与えた。ウェスパシアヌスは着実に勝利を重ね、エルサレム包囲網を狭めていった。
 
 ちょうどその折、ローマでは悪帝ネロが誰からも見限られ、自殺した。ガルバ・オト・ウィテリウスと、1年間に内乱が続き皇帝は次々と変わる。最後はウェスパシアヌスが皇帝となった。ユダヤ戦争後半は息子(後の皇帝)のティトゥスが進めた。エルサレムも陥落する。

■エルサレム神殿陥落
 上画像は、ローマにある「ティトゥス凱旋門」のレリーフである。エルサレムを陥落させたティトゥスは、戦利品として、エルサレム神殿の7枝燭台を運び出した。その様子が描かれている。

 7枝燭台が見える。これはユダヤ教の祭具であり象徴である。現在のイスラエルの国章(左画像)となっている。

■マサダ要塞
 左はマサダ要塞。断崖絶壁の山上に築かれた要塞で、エルサレム陥落後もここに1000名ほどのユダヤ人がたてこもってさらに4年間抵抗した。最後の抵抗の地である。


 現代のイスラエルは、国民皆兵制で、徴兵された人々の結団式が、このマサダ要塞で行われるらしい。「リメンバー マサダ」という意味で。

→ リンク :第2回ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)へ


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