ディオクレティアヌス


ディオクレティアヌス(治世284−305年) 
A3銅貨  295−297年発行  2.71g 20mm

表銘:IMP C C VAL DIOCLETIANVS P F AVG
裏銘:CONCORDIA MILITVM

■専制君主制
 初代皇帝アウグストゥスは、プリンケプス(市民の第一人者)であるとふるまった。帝政といえど合議制を尊重するので、元老院の果たす役割も大きかった。五賢帝の時代も議会尊重の立場は続く。それが3世紀の混乱から、軍人皇帝の時代となる。軍が主導権を持ち、軍の意向次第で皇帝が代わった。
 そして、いよいよディオクレティアヌスからは専制君主制となる。皇帝の権限と軍備を強大にし、官僚制度を整えた。古代ローマから中世へと移行する時期である。

■帝国4分割
 ディオクレティアヌスは広大な帝国を分割統治する体制を用いた。西と東の正帝が治め、それぞれに副帝をおいて4ブロックに分けて統治した。4人の皇帝による共同統治を「テトラルキア」という。この体制の目的は軍事面での迅速性である。4ブロックにおいて軍事的に同時行動がとれるので、成功を収めた。
 この体制は、293年〜313年の20年間、ディオクレティアヌスが在任中は、彼のリーダーシップにより安定して機能した。しかし、引退後は均衡が崩れ、混乱することになる。

■テトラルキアの像
 左の画像はベネチアのサンマルコ広場にある「4人の王」である。1204年、第4回十字軍が、ビザンツ帝国のコンスタンティノポリス宮殿から奪ったものである。「4人の王」は、テトラルキアを表したものである。4人の皇帝は同じ表情、同じ軍服で表されている。

■ローマのディオクレティアヌス浴場
 現在のローマ終着駅「テルミニ駅」の「テルミニ」は「テルメ=浴場」にちなんだ名である。駅のすぐそばにディオクレティアヌスが建造した巨大な浴場(テルメ)跡があるからである。
 浴場は、カラカラ浴場よりもさらに大規模で、3000人を収容した。カラカラ浴場と同様、単なる風呂ではなく、総合レジャーランドであった。
 ルネサンス期に入り、この浴場の冷浴室は、ミケランジェロによって、もとの原型を残しながら、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会として改装された。のち、1749年にルイジ・ヴァンヴィテッリにより再改装される。ローマ時代の建築原型をとどめている。(左画像)

 この時代はローマ市は栄光の帝国首都から、地方都市へと成り下がる時期だった。そんなローマ市民の不満をそらせるための浴場建設だったのか?
 



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