ガリエヌス


ガリエヌス(治世253−268年) 
アントニニアヌス銀(銅)貨  261−262年発行  3.52g 20.5mm
表銘:GALLIENVS AVG
裏銘:VIRTVS AVGVSTI

■危機的状況での皇帝
 ガレリウスは、父ウァレリアヌスとの共同統治として皇帝に就任した。父は全体統治及び東部戦線を、息子のガリエヌスは西部戦線を担当したが、260年、
父はササン朝ペルシャの捕虜となってしまう。こうしてガリエヌスは単独帝となった。
 彼はペルシャを攻撃しなかった。なぜ、父を救おうとしなかったのか? それは戦力を東部に投入できない状況だったからである。ドナウ川方面でも属州総督が反乱を起こす。ガリエヌスは自ら鎮圧に赴いたが、西のライン川防衛線を任せた総督ポストゥムスが、今度は反旗を翻す。ポストゥムスは皇帝を僭称し、独立したガリア帝国を建国してしまった。このような混乱状態では、ペルシャ戦に大量戦力投入ができない。私情を捨て、捕虜となった父も見捨てるしかないのだった。 
 
 ガリエヌスの時代は、ゴート族などの蛮族の侵入に加え、属州総督たちが勝手に皇帝を名乗るという異常事態である。
■救いの主・パルミュラのオデナトゥス
 シリアのオアシス都市・パルミュラは、シルクロードの中継都市として栄えた。この統治者オデナトゥスが、皇帝ガリエヌスを救ってくれた。
 ローマ軍を破りシリアの地に軍を進めていたペルシャに対し、オデナトゥスは急襲をかけ、ペルシャ軍を敗走させた。オデナトゥスは、ローマより「諸王の王」の称号を贈られた。パルミュラを王国とし、オデナトゥスはその王となりローマと共同戦線を張ることになる。パルミュラの存在が、東のササン朝ペルシャへの抑止となる。
現在のパルミラ遺跡

■女王ゼノビアはローマに反旗
 267年、親ローマのパルミュラ王・オデナトゥスがその甥に暗殺される。パルミュラ王には王妃であったゼノビアが女王となる。クレオパトラと並び称される美人女王である。混乱に乗じて、小アジアからエジプトまでを支配下に置いた。そしてゼノビアは、息子の称号をアウグストゥス(皇帝)とし、自身の称号をアウグスタ(皇妃)とした。ローマへの挑戦的な姿勢を見せた。

■ローマ帝国の3分裂状態
 パルミュラの拡大に対して、ローマ皇帝ガリエヌスは放置するしかない。ゴート族の侵入阻止に手一杯であったからである。西にガリア帝国・東にはパルミュラと、帝国は3分裂の状態であった。

■奮闘むなし
 危機的な国難でも、ガリエヌスは奮闘した。しかし奮闘むなし。皇帝ガリエヌスは、クーデターにより殺される。


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