マルクス・アウレリウス


マルクス・アウレリウス(治世161−180年) 
デナリウス銀貨  164-165年発行
 3.33g 18.8mm
表銘:ANTONINVS AVG ARMENIACVS
裏銘:PMTRP XIX IMP II COS

■哲人皇帝
 マルクス・アウレリウスは、皇帝であると同時にストア派後期の哲学者である。キリスト教を迷信であると退けた。彼は、「人間は絶対者や救済者に頼ってはいけない。自身が律しなければならぬ。」とする「克己主義者」であったからである。

■中国「後漢書」大秦王安敦
 中国の史書「後漢書」には大秦(ローマ)から「安敦」の使者が訪れたとの記述がある。この安敦は、「アウレリウス」を指すといわれている。
 ローマの貨幣は現在のベトナムからも出土するので、ローマとの交易はインドを経て東南アジアに達していたことが分かる。ローマの記録には中国(漢)への使節派遣の記事はないので、「安敦(マルクス・アウレリウス)」の使者というのは、ローマ皇帝の名をかたったローマあるいは東南アジアの商人であるかもしれない。実際にこの時の朝貢の品は、鼈甲など東南アジア産の物であった。
【後漢時代の貨幣】

■初の共同統治・皇帝が二人
 義弟ルキウス・ウェルスとの共同統治とした。二人の皇帝は、パルティア戦争の勃発と度々のゲルマン人の侵入に悩まされた。ルキウス・ウェルスが脳卒中で死去した後は、マルクス・アウレリウスが単独帝となる。もっとも弟のルキウス・ウェルスはおまけのようなもので、もとより兄が主導であった。享楽家の弟と違い、兄のマルクス・アウレリウスはひたすら帝国のために尽力した。
 

 ←左はマルクス・アウレリウス騎馬像
■最期
 戦地のドナウ川国境にて病死する。死に瀕して「どうして諸君は私のために泣くのだ。そんなことより疫病と、人間の避けられぬ運命である死について考えるべきではないのか。」と言った。次の皇帝は実子のコンモドゥス(悪帝で有名)である。




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