ローマ vs パルティア  トラヤヌス帝〜ハドリアヌス帝


■アウグストゥス以降のパルティアに対しての基本政策
ローマとパルティアの国境はユーフラテス川とする。
トルコ半島の東の独立国アルメニア王国は、親ローマ政権としてパルティアとの緩衝地域とする。


 ネロ帝以降、アルメニア王は、ローマ皇帝に就任される(戴冠される)ことになっていた。それが、パルティアの干渉により、アルメニア王がローマの許可無く即位した。これををきっかけに、114年、トラヤヌスはパルティア遠征を決行する。
トラヤスヌ帝(治世98−117年) デナリウス銀貨 113−117年発行

 トラヤヌスは、アルメニアを制覇し、南のパルティア朝に攻め込む。メソポタミア全域を制圧し、新領土のダキア(現ルーマニア)とあわせて、ローマ帝国史上最大版図となる。さらに遠征軍はパルティアの首都クテシフォンも陥落させ、ペルシャ湾にまで達する。

 パルティアは、これに対してゲリラ戦法で対抗していた。同時に西方では各地のユダヤ人が一斉に反乱を起こし、トラヤヌスは西へと向かう。ローマへ向かう途上、63才のトラヤヌスは病死する。

ハドリアヌス帝(治世117−138年) デナリウス銀貨125年発行

 トラヤヌスの後皇位を継いだハドリアヌスは、トヤラヌスがパルティアから獲得した領土を放棄することを決める。ゲリラ戦が絶えず勃発する新領土を維持するには、軍団の投入が必要である。ここに戦力を留めることで、他地域での反乱に対応できなくなる。そこで、もとの国境ライン・ユーフラテス川へと撤退することにした。



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