柿右衛門様式


■国際情勢の背景
 1568年、ネーデルラントは支配国スペインに対し反乱を起こし、1600年頃には北部7州が実質的な独立を果たした。そして、1602年には、オランダ東インド会社を設立している。
 これに先立つ1588年、スペインの無敵艦隊(アルマダ)をイングランド海軍が破っている。新勢力の台頭である。

 世界の海の覇者といえば、かつてはスペイン・ポルトガルであったのが、17世紀に入ると新しくイギリス・オランダが2大勢力となった。
 アジア貿易でもこの2国が主役で、イギリス東インド会社がインド経営に、オランダ東インド会社は東アジア経営に取り組んだ。
もちろん、日本の貿易相手国は、オランダである。長崎の出島が、鎖国下におけるヨーロッパへの窓口となった。

■伊万里磁器のヨーロッパ輸出開始
 1659年、オランダ東インド会社は、日本の有田に多量の磁器を発注した。磁器といえば、質量とも世界一であるのは中国の景徳鎮である。ところが、明から清への王朝交代期の動乱により、景徳鎮磁器の交易は困難であり、その代替として、白羽の矢が立ったのが、伊万里磁器であった。

■輸出用の「柿右衛門様式」
 当初は景徳鎮磁器の模倣であった伊万里磁器であったが、技術革新をくり返しながら、オリジナリティーを発揮していく。そうした中で制作されたのが、「柿右衛門」様式の器である。余白をとった繊細な日本的デザインである。この柿右衛門様式の磁器は、ヨーロッパで大好評であり、大ヒット商品であった。柿右衛門様式、それは輸出品としての制作であって、国内市場への供給は少なかった。そのため、柿右衛門様式=希少高級品である。かつては、「柿右衛門の器は酒井田柿右衛門の個人作」という誤解もまかり通っていた。
 柿右衛門様式とは、輸出用の高級磁器を手がけたいくつかの窯の作品群を指す。年代としては1670年〜1690年頃の物が多い。


■柿右衛門様式色絵 菊文向付 径:10cm 高:5cm 口縁内側に桜紋

■柿右衛門様式色絵 小皿 龍文と火炎宝珠 中央に鳳凰 径:14.4cm


■柿右衛門様式色絵 小皿 獅子と宝珠 径:11.6cm
■上の獅子図の拡大
 面積比では5倍程度に拡大している。拡大すれば「あら」が見えるものであるが、ここに筆致の乱れは確認できない。小品ながら、非常に精緻な仕事ぶりが伺える。 

■柿右衛門様式色絵 鉢 梅に鶯 径:15cm 高:6.4cm
 
■上の梅図の拡大 
余白が多く、瀟洒な絵付けであるが、拡大してみると筆法の力強さが目立つ。
 

■染付 中皿 石榴文 径:17.6cm  
いわゆる藍柿右衛門である。柿右衛門系の窯による染付磁器で,ヨーロッパからの
里帰り品である。この3つに配した石榴文は鍋島焼に同類のものが見られる。

■当時のヨーロッパの認識 「柿右衛門は中国製」
 東インド会社だけでなく、西インド会社もあった。この「西インド」とは、南北アメリカの新大陸を指す。それは、かつてコロンブスがインドを目指してたどり着いたところから、西インドと呼ばれている。対して、「東インド」は、アジア沿岸部全域を指す。「東洋全域」という意味合いになる。
 
 柿右衛門様式といえば、洗練された日本独自の美として評価が高いが、当時のヨーロッパにおいては、日本製という認識はなかった。東インド会社がもたらすもの、東洋の物、ということで、当時は「インド」というくくりになっていた。この場合のインドは、「東洋」と同じ意味合いである。貿易に携わる者は当然、日本や中国、ましてやインドとの違いは認識しているが、ヨーロッパの市場においては、日本も中国もインドも渾然一体として、とらえられている。この美しい焼き物は、東洋からきたもの・磁器といえば中国製、という程度の認識である。
 ただ、柿右衛門様式の美はヨーロッパ王侯貴族に強烈なインパクトを与えた。彼らは競ってこの美しい焼き物を買い求めた。

 柿右衛門様式が日本製であることがヨーロッパで広く知られるようになったのは、19世紀後半からのジャポニズムの時代になってからである。浮世絵・陶磁器・漆芸等、日本文化が詳しく研究されるようになって、伊万里や柿右衛門の名も広まった。



リンク: 柿右衛門とマイセン

リンク: 元禄染錦とイギリス磁器



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