鼎 中国戦国時代

 この器形は、春秋晩期から戦国早期にかけて三晋地区(韓・魏・趙)で流行した。

 殷代と同様、祭祀用の礼器であるが、実用性が高まっている。

 鼎は神への供物を煮る容器であるが、殷代のものには蓋がない。熱効率から考えれば蓋があってしかるべきだが、当時は植物の茅を蓋がわりに用いたらしい。

 本品の時代となると、蓋を伴う。その蓋を裏返せば、三つ足に支えられる盛り器にもなる。

中国戦国時代早期 
BC5世紀中頃〜BC4世紀中頃
h:19cm  w:23cm

 文様は抽象文様であるが、これは龍の姿を抽象化・デザイン化したもので、「蟠龍文(ばんりゅうもん)」と呼ばれる。龍文の間を埋める地紋は細雷文である。非常に正確で精緻な文様である。

 商(殷)代の青銅器は、その文様には強い宗教的な意味合いを持っていたが、この時代となると、デザインとしての装飾性が第一に考えられている。

 鋳造も殷代に比べるとたいへん薄造りである。高度な技術で、繊細な文様も正確に鋳出している。

 裏返した底には、2千数百年前のススがまだ付着している。 
 内部には緑青がびっしりと残る。発掘の際、わざと取り除かずに残してある。
 蓋裏の緑青が多いが、それに比べて本体内部の緑青は少ない。これは、ここが調理品の油脂によって覆われていたため、防錆効果があったのだろう。

 このような図案化された龍文は、春秋〜戦国の交替期の青銅器文様の大部分を占める。この時期は、他の文様が衰退する中で、龍文の独壇場となる。

 中国の歴代王朝において、皇帝の象徴は「龍」であった。例えば、明代でも清代でも、皇帝を表す文様といえば5本爪の龍である。王朝は次々に変わっても、中国の支配者の象徴は龍である。龍は、中国全体に共通する権威であり、崇拝すべき祖神であると言える。

 このような意識が高まってきたのが、春秋から戦国期である。龍文は、そのような時代の流れに沿いながら、デザイン性を高めていったものである。

 現代人から見れば繁雑にすら感じるほど、パターン化した文様で器体を埋め尽くす。

inserted by FC2 system