推理の楽しみ

No.1 清朝・景徳陳青花「花魁図」に見る日中交流  
No.2 龍泉窯青磁小腕 なぜ口縁釉剥ぎ 覆輪?

No.1 清朝・景徳陳青花「花魁図」に見る日中交流

景徳陳 清朝 径26.5cm  所蔵品 伊万里 幕末 径14cm 平凡社・別冊太陽
「絵皿文様づくし」 より
 
【どちらが本歌?】

 左が中国清朝・景徳陳、右が日本の伊万里。ご覧のように同じ日本の花魁のモチーフである。どちらが本歌でどちらが写しかは、一目瞭然。描写の細密さから左が本歌であるのは明らかである。

 中国人の景徳陳陶工が描いた日本の花魁を、日本人の伊万里陶工が写したという奇妙なことになっている。

【年代特定はできる?】

 この大皿は、明末清初のいわゆる「古染付」とは明らかに異なる。江戸時代の中〜後期に日本から景徳陳に注文した「新渡」ものである。清朝のなかでもどの時期なのか? 中文の「中国民間古陶磁図鑑」に当たってみた。呉須の色調や人物描写の仕方などが「雍正期」の青花に似ているように思ったが確証がない。

【浮世絵美人図を中国風にアレンジ?】

 景徳陳陶工が花魁を描くには、必ずその手本があったはずである。日本からおそらく浮世絵美人図を送り、それを現地陶工がアレンジしたのだろう。髪が後ろに垂れている。垂らした髪型ならば、菱川師宣の「見返り美人図」を思い浮かべるが、あの絵(元禄頃)には多数のかんざしは見られない。

 かんざしは、髪を高く結い上げるようになってから、本数も増えていったようだ。絵皿の髪型は、高く結い上げた日本風の髪型に違和感を感じた「清朝・景徳陳陶工」のアレンジかと思われる。

 着物の着方、着物とその襟の模様も極めて中国的である。人物の前を覆うものは何なのか? 見当がつかないが、その模様は、これぞ中国、ラーメン屋の模様である「雷文」だ。3000年以上前の商(殷)代からの伝統模様だ。表情も当然中国的美人となっている。

【かんざし本数から】

喜多川歌麿 浮世絵美人図 寛政期
(所蔵品)
国芳 「娘御目見得図」 江戸後期・弘化4年〜嘉永元年頃
(所蔵品)

 上図左は、歌麿美人図で、寛政期の浮世絵である。かんざしは8本差し。かんざしの本数は時代が下るにつれ増える。装飾がよりデコラティブになっていく。右図は、弘化頃の浮世絵である。




絵皿のかんざしは6本差しで、上部には扇形のものが見える。これが何なのかは不明。

 かんざしの様子からは、絵皿の人物が歌麿の時期とだいたい一致する。寛政は1789〜1800年。外国ではフランス革命、アメリカ独立戦争などの激動の時代の幕開け。それに比べ、まだまだ平和な島国日本。その太平の江戸風俗を写したものかと類推している。








【用途は何?】

 江戸初期の舶来品「古染付」は茶道具だった。その後の「新渡」の用途も、茶道具や文人趣味の文具類など、高尚なものである。花魁というのは美しくはあるが、あまりに俗物的ではないか。この器で茶会席料理を出したのでは、格好が付かぬ。

 用途は「茶」ではなく、「酒」の席の宴会用であっただろう。では、どういう場所で使ったのだろう。長崎の遊郭だろうか。景徳陳への特注だからもっと資本を持った何者か? 想像が楽しい。ただ、この皿の図柄が、後に伊万里にて写されている点を考えると、かなり出回ったものなのか? 

【日本→中国→日本】

 日本の花魁を中国で描き、それを日本で写す。この図式から連想するのが、絵画の世界。西洋に渡った日本の「写楽」「北斎」「広重」たちの浮世絵。その特異な造形に感化されたフランス印象派の画家たち。その印象派や後期印象派の後を追った日本画家。

 こんな大きな芸術運動ではないが、鎖国時の日中間のささやかな交流が見られて、ついついうれしくなってくるじゃないですか。
 

裏面
 
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