推理の楽しみ

No.1 清朝・景徳陳青花「花魁図」に見る日中交流 
 
No.2 龍泉窯青磁小腕 なぜ口縁釉剥ぎ 覆輪?

No.2  南宋龍泉窯青磁 なぜ口縁を釉剥ぎにする?
 
南宋〜元初 龍泉窯 
【龍泉窯青磁なのに・・・なぜ?】

上の画像は、南宋末頃の龍泉窯青磁小腕である。口縁部には釉薬がかかっていない。そして金属の覆輪の跡がぐるりとめぐっている。そもそも龍泉窯では、このような釉剥ぎや覆輪は行わない。釉剥ぎとは、釉薬をつけた後にその一部をわざわざはぎ取ることである。それは、下のように、定窯や景徳鎮窯に見られる技法であって、龍泉窯にはないものである。


  → 他の龍泉窯については「中国古陶磁 青磁」を参照

【口縁釉剥ぎとは】
北宋の定窯がその元祖である。下図のように、一度に多数の器物を重ねて伏せ焼きをして、生産効率を高める。口縁部分を窯道具で支えるため、癒着しないよう、口縁部分の釉薬は入念に取り除く。

伏せ焼き図 平凡社 中国の陶磁「白磁」より 定窯腕 伏せ焼きのため口縁部は釉剥ぎ
 
この定窯の伏せ焼き技法は、南宋に入って、南方の景徳鎮にも伝わる。

左画像は、南宋の景徳鎮青白磁椀で、伏せ焼きによる口縁の釉剥ぎ、そして銀の覆輪が施されている。 ※覆輪は現在のもの。

南宋(金)代の定窯・景徳鎮の白磁は、このように焼成されているので、全て口縁は無釉であり、この無釉部分に金属の覆輪をするのが流行していた。

伏せ焼きは、釉層の薄い白磁なら可能だが、たっぷり厚く施釉する青磁では、釉薬が流下してきて無理である。だから龍泉窯ではこの方法はとらない。
景徳鎮窯 青白磁椀
【建窯には伏せ焼きはないが、覆輪が必要】

左画像は、建窯天目腕である。銀覆輪(現代)がある。日本伝世のほとんどの天目腕にはこのような覆輪がある。もちろん本家中国でも同様である。建窯では、比重の高い釉薬で、それがが流下して、どうしても口縁部分が無釉となる。そこで、口当たりのざらつきをおさえるために、覆輪が必要となる。伏せ焼きをしているわけではないが、覆輪をする。
 
当時はこの建窯のような覆輪を施した器での喫茶が大流行であった。
 
建窯 禾目天目腕

【当時の流行にのった龍泉窯】

定窯・景徳鎮・建窯と当時のメジャーな窯で、口縁への覆輪が流行していた。この龍泉窯は、当時最大規模の生産を誇る大産地であるが、世の流行には迎合もする。その結果、本来は必要ない口縁釉剥ぎに覆輪という腕が登場したと思われる。今も昔も、日本も中国も、流行とその需要に合わせて、生産者は精一杯工夫し、供給する。涙ぐましい努力である。


器形も他の窯の影響を受けているように思える。下左画像は元代の鈞窯であるが、この鈞窯系の器形には丸みのあるふっくらとしたものが多い。龍泉窯青磁にはこのような器形は比較的少ないようである。口縁釉剥ぎの龍泉窯小腕、器形も他の窯の影響を受けており、時代の流行混血児と言える。
  
鈞窯 腕 元 龍泉窯 青磁小腕 (裏面)


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